勝手に選ぶベストナイン -ヤクルト編-
プロ野球のペナントレースもまもなく終了し、数日後にはクライマックスシリーズが始まる。
まあ、オリックスファンの私には関係ないけどね(泣)。序盤は首位だった記憶もあるのだが。
今回はオリと同様、4月頃はリーグ首位を突っ走るも、その後負けが込んでBクラスに落ちた、
東京ヤクルトスワローズの歴代ベストナインを考察・紹介する。
過去の中日編やDeNA編、パ・リーグのオリックス編、近鉄編、ソフトバンク編、西武編、日本ハム編、ロッテ編も、
それぞれクリックして確認してほしい。
現JRの国鉄がプロ野球チームを結成し、1950年から国鉄スワローズ名義でセ・リーグに参入。
設立時はプロ経験選手がおらず、毎年下位に低迷。12年目の61年にようやく、球団初の勝ち越し&Aクラスの3位に。
だが、その後も低迷は続き、母体が国鉄からフジサンケイグループに変更。
65年、シーズン中の5月にサンケイスワローズになり、翌66年から同アトムズ、69年にはただの「アトムズ」に。
ヤクルトとの共同運営からサンケイが手を引き、70年にはヤクルトアトムズになるも、
74年シーズンから再びスワローズに戻し、78年には創立以来初のリーグ優勝と日本一を達成。
その後再び低迷したが、野村克也が監督に就任した90年代に4度のVと、黄金期に突入。
以降も何度か優勝し、日本シリーズ制覇6回は、セ・リーグでは巨人の22回に次ぐ。
2006年には東京ヤクルトスワローズと名称変更。優勝と低迷の双方を経て、現在に至る。
ここまで字ばかりなので、画像を挿入。昨年の冬、友人と飲んだ帰りにおごってもらった、親会社の人気商品「ヤクルト1000」。

腸内環境を改善したところで、当企画の詳細を、毎度おなじみコピペで説明。
元ネタは、1999年8月発売のナンバー別冊「【20世紀スポーツ最強伝説】プロ野球編」に掲載された、
各球団のオールタイムベスト9を選ぶ、ライター阿部珠樹氏の記事「決定! 12球団夢のベストナイン」。
主なルールは以下のとおり。
○投手は、左右やリリーフは関係なく、ベストの3名を選出
○外国人は投手ひとり、野手ふたりまで
○セ・パともにDHを採用
○ひとりの選手、監督がふたつのチームに重複所属するのは不可
○複数のチームに在籍した選手は、もっとも長くいたチームの所属とする
○在籍年数が同年の場合は、出場試合数が多い方の所属(※例外あり)
○特別枠には、フロント、選手その他、特別な形でチームに貢献した人物を選出
○戦前の伝説的選手である沢村栄治や景浦將らは、活躍期間が短いので除外
青字ルールは、私が追加したもので、ヤクルトと日本ハムに10年ずつ在籍した稲葉篤紀は、出場数の多いハム所属、
ただし、横浜とソフトバンクに10年ずついた内川聖一は、出場数はソフトの方が多いけれど、
最後の1年はずっと2軍だったので、実質9年と考える特別ルールにて、現DeNA所属扱いにした。
まずは、阿部さんが発表した、1998年までのスワローズベストナインを掲載&転記。

[スワローズ] (~1998)
左 若松勉 .319 220本
二 武上四郎 .266 71本
捕 古田敦也 .294 114本
右 マニエル .303 189本
指 広沢克 .276 283本
中 町田行彦 .233 129本
遊 池山隆寛 .266 282本
一 杉浦亨 .284 224本
三 徳武定之 .259 91本
投 金田正一 400勝298敗
松岡弘 191勝190敗41S
安田猛 93勝80敗17S
監 広岡達朗
特 相馬和夫(球団代表)
阿部さんが「弱い時代が長く、これといったメンバーがいないので選考に苦労した」(一部抜粋)と仰るように、
400勝投手を除くと、他チームとの比較では、インパクトに欠ける顔ぶれとなっている。
武上は、打撃タイトルはないが、低迷期の数少ないスター選手で、のちに監督も務めた(失敗)。
チャーリー・マニエルは、77年に42本塁打、78年にも39本塁打を放ち、球団初優勝に貢献。
守備の悪さを理由に近鉄へトレードされると、79年も主砲として活躍し、今度は近鉄を初優勝させた。
ヤクルトも近鉄も、彼が退団した翌年は、前年の優勝から一気に最下位へ転落している。
広沢克(克己、克実名義の時代もあり)は、主軸として毎年のように全試合出場し、10年間で228本塁打を記録(三振も1107)。
ただし、92年日本シリーズ第七戦での走塁ミスや、巨人への移籍は批判の的となったし、私も巨人移籍にはガッカリした。
町田は、55年にチーム初の打撃タイトルとなる本塁打王を獲得。本職はライトで、強肩での補殺が多数。
杉浦は、ヤクルトひと筋22年のスラッガー。巨漢から繰り出す弾丸ライナーが特徴だが、意外と三塁打や盗塁も多い。
92年日本シリーズ第一戦の代打満塁サヨナラホームランは、今見ても泣ける。あと、「仕事人」の応援イントロもいいよな。
徳武は、低迷期60年代の主軸で、広沢と同様、休むことなく試合に出場。郷ひろみの義父らしい。
安田は、漫画「がんばれ!! タブチくん!!」でもおなじみ、緩~い球で打者を手玉に取る技巧派左腕で、あの王貞治も苦手にしていた。
漫画のイメージとは違い、新人時代から2年連続最優秀防御率のタイトル奪取など、実際はまともな投手である。
広岡は、チームに蔓延する負け犬意識の一掃に尽力し、78年には球団創立以来初の優勝を果たしたが、
あまりの冷徹ぶりと、子飼いの森昌彦コーチの陰険さが選手たちの反発を招き、翌79年には退任することになる。

※長谷川晶一著「正しすぎた人 -広岡達朗がスワローズで見た夢-
相馬代表は、ドラフト会議でのクジが強く、他球団と競合の荒木大輔、高野光、広沢らの他、長嶋一茂(苦笑)も獲得している。
続いては、わたくしが選んだヤクルト全時代のベストナインを発表。
[東京ヤクルトスワローズ] (~2025)
中 青木宣親 .313 145本
左 若松勉 .319 220本
二 山田哲人 .276 311本
指 ラミレス .301 380本
一 村上宗隆 .270 246本
右 バレンティン .266 301本
捕 古田敦也 .294 217本
三 池山隆寛 .262 304本
遊 宮本慎也 .282 62本
投 金田正一 400勝298敗
松岡弘 191勝190敗41S
高津臣吾 36勝48敗286S
監 広岡達朗
特 つば九郎(マスコット)
21世紀の強打者が多数加わり、他球団に見劣らない豪華な打線になった。
ピッチャーは、空前絶後の400勝投手金田と、通算勝利数191で球団2位の松岡は即決。
カネやんが国鉄に在籍した15年間で、挙げた勝ち星は353。この間のチーム勝利数、833の約42%に彼が貢献したのである。
異論はあるだろうが、私はヤクルトだけでなく、日本プロ野球のベスト投手も金田正一だと思っている。

※約30年前に金田さんからいただいたサイン色紙。詳細はこちら
松岡は、弱かった時代のエースで、ふたケタ勝利を10回。初優勝の78年には沢村賞を獲得。
83年に11勝し、200勝まで残り10勝に迫るも、翌年から急激に勝てなくなり、名球会入りを果たせず。
後輩の石川雅規は通算188勝だが、ヤクルトじゃなければもっと早くクビになり、170勝未満で終わったと思うが、
松岡はヤクルト以外のもっと強いチームに入っていたら、200勝は達成できたはず。
3人目には、日本で2位の通算286セーブを記録し、米国、韓国、台湾でも活躍し、監督でも連覇を遂げた高津を選択。
5人選ぶとしたら、先述の石川と、90年代のエースで、日米通算182勝の石井一久か。
さらにもうひとり、金田と松岡を含め球団で3人しかいない、年間20勝を経験するも、
酒の飲み過ぎで現役生活9年で引退し(通算70勝90敗)、39歳で早逝した石戸四六のことも覚えておきたい。
捕手は、インサイドワークや盗塁阻止率、さらに打撃実績も優秀な古田以外に考えられない。
阿部さんが選んだ98年に.294だった打率は、その後の9年間でも3割を5度打つことで維持し、本塁打は103本上乗せした。
個人的に大好きな八重樫幸雄は、大矢明彦に次ぐ3番手か。
一塁手は、デビュー後の数年間と、現大リーグで一塁を守っている村上にした。
阿部さんも推した杉浦も好選手だが、三冠王と年間本塁打56本という、村上の実績を認めないわけにはいかない。
ロベルト・ペタジーニなど、強力助っ人も多いポジションだが、外国人枠2のルールにより惜しくも落選。
ヤクルトは当たり外国人が多く、ペタジーニの他にもデーブ・ロバーツ、ラリー・パリッシュ、ジャック・ハウエル、
さらに、阿部さんが選んだマニエルや、瞬間インパクトは最大級のボブ・ホーナーらも選外となった。
現役のホセ・オスナとドミンゴ・サンタナも、優良外国人扱いされているが、上記メンバーと比べたら、正直まだまだである。
二塁手は、トリプルスリーを3度経験した、現役の山田以外は見当たらない。
近年の不振で打率は下がったが、ヤクルトで放った通算本塁打数は1位、盗塁数も3位だ。
近年、スター選手がどんどん海外に流出していく中、日本のプロ野球を守り続けた彼には感謝している。
三塁手は、本来はショートの池山だが、もっと適した後輩がいたので、サードに回ってもらった。
中日の宇野勝と並ぶ、ショートでは貴重な長距離砲だったが、宇野よりは守備はまともで、サードも無難にこなした。
通算本塁打は山田に次ぐ球団2位、打点は古田、山田に次ぐ3位。ただし、三振は1440個でトップなのが、さすがはブンブン丸。

※図書館で借りた著書「池山隆寛の超おもしろプロ野球」
三塁手では、年間44本塁打を記録した岩村明憲もいるが、活躍年数で池山に及ばない。
遊撃手は、池山のあとにレギュラーとなり、ゴールデングラブ賞を6度獲得(※)した宮本にした。 ※サードでも4度獲得
野村監督には、守備専門の「自衛隊」と呼ばれていたが、のちに打撃力も向上し、通算2000本安打を達成。
バラエティ番組出演時、会いたい女性タレントを問われ、奥さんがいるのに「及川奈央」と回答したのは格好よかった(笑)。
ここからは外野手。左翼手は、初代ミスタースワローズと称された若松でいいだろう。
小柄ながら、強靭な下半身を生かしヒットを量産。打率3割を12度記録し、通算打率は日本人トップ。
晩年は代打の切り札としても活躍し、代打打率も.349という高数値を誇った、球史に残る安打製造機である。
彼の引退試合は、90年シーズン開幕前のオープン戦だったのだが、私はこの試合を観戦している。

初回の第一打席で、ショートゴロに凡退すると即交代し、試合後の挨拶もあっさり終わった記憶がある。
球団の功労者ゆえ、もっと盛大に送り出してあげてほしかった。先日の栗山巧引退セレモニーは感動したけどねえ。
中堅手は、実際にセンターを守っていた、若松の後継者である背番号1の青木で問題なし。
3度の首位打者に盗塁王も獲得し、年間200本安打も2度記録。通算打率.313は日本人選手では4位。
米国挑戦後もヤクルトに復帰し、42歳まで現役生活を続けた。現在は球団GMとして、チームを支えている。

※つば九郎のブログより拝借した、GM補佐時代の青木
右翼手は、他の外野手3名がライトを守った経験がほぼ皆無なので、当初はDH予定だったウラディミール・バレンティンにした。
飛ばないボールを使用した、11年と12年に各31本で本塁打王に輝くと、翌13年には60本塁打の日本新記録を達成。
ヤクルトでは負傷した15年を除き、毎年塁打を30本以上を打っていたので、ソフトバンク移籍後の急激な衰えが残念。
指名打者は、若松とレフトで被ったアレックス・ラミレス。打撃に専念してもらえるため、四番打者にした。
来日当初は七番あたりを打っており、のちに主砲を担い、外国人初の二千本安打まで達成するとは想像できなかった。
本塁打の直後は、「ゲッツ!」「アイーン」など、お笑い芸人のパフォーマンスをしていたのは有名だが、
実はレフト守備の際も、敵味方関係なく後方スタンドに向け、手を振ったりおどけた仕草を見せ、ファンを喜ばせていた。
外野か一塁、どちらかに杉浦を入れたかったが、凄いバッターが揃ってしまったので、彼には代打で頑張ってもらおう。
監督は、阿部さんと同じく広岡にした。本当は、優勝回数の多い野村克也にしたいのだが、彼は全ホークスの捕手なのでね。
現在でも、球界の御意見番として、厳しい論評を度々発表し、賛否両論を集めている広岡だが、
晩年の長嶋茂雄氏がスポーツ報知に寄稿していた記事と同様、あれって本当に、彼自身の意見なのかなあ…?
特別枠は、さきほども画像で登場している、マスコットのつば九郎。
25年の年俸は「6万円+ヤクルト1000飲み放題」らしいが、ファンサービスで年俸以上に貢献しているのは間違いない。
最後に、私がプロ野球を観始めた、1982年以降のベストメンバーを発表。
中 青木宣親 .313 145本
左 若松勉 .319 220本
二 山田哲人 .276 311本
指 ラミレス .301 380本
一 村上宗隆 .270 246本
右 バレンティン .266 301本
捕 古田敦也 .294 217本
三 池山隆寛 .262 304本
遊 宮本慎也 .282 62本
投 松岡弘 191勝190敗41S
尾花高夫 112勝135敗29S
高津臣吾 36勝48敗286S
監 野村克也
最近のメンバーばかりだったので、カネやんと広岡を入れ替えただけ。
監督は、広岡は西武の監督の方が印象強いので、さっき書いたように野村に変更。
金田に代わる投手は、石川や石井ではなく、弱かった時代に先発・リリーフと奮闘した尾花を推奨。
横浜の監督は2年連続最下位で終わったが、コーチとしては、複数の球団で辣腕を振るい、成功したといえる。
既述したように、近年は日本の一流選手がどんどん米国に行く反面、大物外国人の来日は激減した。
オリックスと違い(怒)、外国人スカウトが優秀なヤクルトには、ラミレス級の強打者を、また入団させてほしいし、
山田のように、日本で頑張るスーパースターも育ってほしい。本当に、このままでは日本のプロ野球は滅んでしまうぞ!